古式生活 江戸時代 食事

夫婦箸、夫婦茶碗

 夫婦箸や夫婦茶碗というものがある。  「夫婦(めおと)」とつくモノだ。他には思いつかない。  他には「夫婦善哉」ぐらいだろうか。  この二つ、箸にしても湯飲み茶碗や飯茶碗にしても夫の方が大きく妻の方は小さい。箸は短い。  柄が揃えてあっても、どちらかが小さいので夫婦茶碗の揃いだ...

江戸時代 武士道

腹芸というもの

 最近の人は「腹芸」と言ったらどう思うだろうか。  よくある温泉旅行の懇談会、そんなので興の乗ったオヤジが腹を出してそこに化粧をし、顔を隠して腹をよじらせる。  安来節(やすきぶし)を踊ったりする余興。  顔を隠し、大きな腹が顔だ。それはまるで人間が奇妙な顔をしているように見え、...

江戸時代 武士道

陰腹というもの

 「陰腹」という言葉がある。  「かげばら」という読みをする。  誰にも知られないように密かに腹を切っておいてサラシで硬く固め、最期までの覚悟とする。  やり遂げる瞬間を終わりの瞬間とすることだ。  忠義に思いもかけないものがあったと主人が感服する話として言われるが、史実として実...

古式生活 江戸時代 食事 武士道

一汁一菜の本来とは

 武士、すなわち男子たるものは「一汁一菜」を信条とすべきである。  それはあくまで「信条」であるから、理想でもあり、目標でもある。  日々の食事で実践しているかと言えばそこまでのものでもない。  「一汁一菜」とはご飯に野菜、そして汁だ。  ではその中味は何か。  例えば、タクアン...

古式生活 江戸時代 武士道

青海波について

 器や着物に使われる文様のひとつに青海波というものがある。  青を基調とし、文様は海の波、あたかもその無限な反復を意匠としたものだ。  こうしたものはいわばパターンであり、イギリスのペイズリー柄などと同じものである。  岡山県にある天柱山 頼久寺には、その遠州がデザインした庭があ...

古式生活 江戸時代 武士道

忍耐、我慢ということ

  この表題のことは、あまりに最近しつこく言われていることだから改めて考えてみるべきだろう。  それは忍耐、我慢ということ。  目下のコロナ感染拡大の折、その自粛や対策への協力について、人々には「忍耐が強いられている」などと盛んに言われていることだ。  「人々は我慢に耐えかねてい...

古式生活 江戸時代

長火鉢

 古来から、日本には「室内で火を使う」という習慣があって、炭を入れ、室内で暖を取ったり湯を沸かしていた。  それが火鉢というものだった。  火鉢にも色々とその種類はあるし、その使う炭にさえ種類があるという。  古道具屋に行けば状態のよい骨董の長火鉢は今でも売られているし、これ...

古式生活 江戸時代

鐘の音

  古来、ヨーロッパでは教会の鐘の音が届くところまでが領地であるとされた。  だから教会の設置には領主の許可が必要であり、時を知らせるだけではなかった。  集会、葬式、領主の視察など、各種の行事を伝えた。  すなわち西洋の鐘は、宗教という権威にありながら支配や統治というものから来...

古式生活 江戸時代 武士道

臭いで分かる

  男だ。  確かに男がいた。さっきまで。  男が、我々の家の玄関の前に暫く立っていた。  さっきまで。  外でタバコを吸おうと、玄関を出たらその臭いが分かった。  さっきまで、俺が中で茶を飲んだりしている時、その間中、そいつは玄関先で中をうかがいじっと外で立ってい...

古式生活 江戸時代 武士道

のぼり

 日本人は古来から「のぼり」が好きだ。  選挙で、商売で、広場で、公共のイベントの現場でその告知で、のぼりは現代でも日本のあらゆるところで活躍している。  日本を訪問した外国人はこの風景を見るとたいてい驚く。  その、領地を宣言しているようなまがまがしさに、日本人の内面の厳しいも...

古式生活 江戸時代 食事

馳走

 「ご馳走」などと云う。  あることのために「走り回ること」の意味であり、転じて客に供応をして料理をふるまうことを言った。  料理をふるまうために走り回ったからである。  「馳走する」とは、食事を中心とした「もてなし」をする意味である。  「料理をふるまうために台所を走り回った」...

古式生活 江戸時代 武士道

書の工夫

 「掛け軸の書」や「書額」というものがある。  書額はたいていは勢いや力強さが求められ、魂、意思などが伺えるものがよいとされる。  道場や広間に掲げられ、戒めや心得として人に訴えかける。  一方、掛け軸は主に茶室や床の間にかけられる。  眺めた時に穏やかさを与え、静けさを補助...

古式生活 江戸時代 武士道

盆栽 BONSAI

 海外からの訪問が多かったため、できるだけ翻訳しやすいように分かりやすく記述してみる。  「翻訳ボタン」を活用していただきたい。  今回は盆栽についての解説だ。  「盆栽」というのは、海外でもよく知られるものとなった。  「BONSAI」と、そのまま日本語の発...

古式生活 江戸時代

結界

 かつては結界というものがあちこちに見られた。  神社の祭礼、儀式にあってはしめ縄が地域に張られ、その範囲が神によって守られている領域であることが示された。  それらは魔や鬼と我ら人間とを分け隔てする境界だった。  神社という聖なるものの縄張りを決め、そこを...

古式生活 江戸時代

終戦記念日などありようもない

 戦国の世の昔、我が国の各地では多くの戦いがあった。  しかしそれを「記念日」などと、ふざけたものと扱った時代は一度とてない。  天下を分けた関が原の合戦、その終戦記念日だと誰が祝っただろうか。  弔いはあろうとも、その関が原があったから太平の徳川の世...

江戸時代

夜の街

 江戸時代の夜の街と言ったらやはり吉原などの遊郭だろう。  関西で言えば飛田遊郭に当たる。今の飛田新地だ。  遊郭はどこにでもあった。  それこそ明治、大戦。昭和となってもまだ名残りを残す遊郭跡は各地にあった。  江戸時代には今のキャバクラ的なところがあった。 ...

古式生活 江戸時代

友、友人というもの

 我々日本人というものは古来からことごとく独りであった。  日本人は孤独を愛する民族だ。  孤独であり、孤高であり、肉親に対しても誰に対しても人間は生まれたときから一人の個、独立した者であった。  幼い頃、早くから織田信長は親元を離れた。信長は人質となっていた家康と幼少に...

古式生活 江戸時代 所作

人の足元を見る

 「人の足元を見る」という言葉がある。  それは「人の弱みにつけこむ」あるいは「人を値踏みする」というのが真意だ。  江戸の人々はほとんど徒歩で移動した。  参勤交代や色んな制限があったことが功を奏し、江戸時代は逆に人々の移動が盛んだった。  それがよく経済を回...

古式生活 江戸時代 武士道

享楽的なことは悪である

 今は外国人との接点も多くなり、我が国にとって客人に過ぎなかった者が色々と口を出すようになった。  これさいわいと、これを利用して自らの堕落を糊塗しようとするのもいるし、日本文化を破壊しようと画策する者もいる。  なんということはない戦国時代が国境をまたいでいると考えれ...

江戸時代 武士道

忍者とは

 忍者とはどのような存在だったか。  時には極端に誇張された物語にされてしまうことから、その実像はあまり定かではなくなってしまった。  「忍び」とも言われ、女性の忍びに関しては「くのいち」という言葉もある。  言葉がある以上はそうした人々がいたことは事実であ...