夫婦箸や夫婦茶碗というものがある。
「夫婦(めおと)」とつくモノだ。他には思いつかない。
他には「夫婦善哉」ぐらいだろうか。
この二つ、箸にしても湯飲み茶碗や飯茶碗にしても夫の方が大きく妻の方は小さい。箸は短い。
柄が揃えてあっても、どちらかが小さいので夫婦茶碗の揃いだと分かる。
この男女平等と言われる昨今では奇妙な印象を受ける。
夫婦箸と夫婦茶碗の造作を考えてみるとその理由はあまりはっきりしない。
これは女が劣位であった風習として、女性は男性よりも小さいものを使え、と、そんな風に感じる人もいる。
しかし日本の文化は女系社会と言っていい。むしろ女性を尊重してきた社会だ。
歴史上も女性を支配して抑圧するということはあまりなかったから、それからすれば違和感がある。
例えば、夫婦茶碗なら飲んだり食べる量が少ないとして妻の茶碗が小さい造作なのは分からないでもない。
あくまで平均的なことに過ぎないが女性の方が男性よりも小さい。
平均的なサイズに合わせて作られたものは多い。
「決まり寸法」という言葉がある。今で言えばそれは「規格サイズ」であり、売りやすく、また流通しやすく決められたものだ。
尺や間という寸法も当時の平均的なサイズから決められた長さだ。
浅井長政の妻となったお市は織田信長の妹で身長約165センチだったと言われる。
当時の平均よりもかなり高いが夫の長政は180センチで夫婦としては釣り合っている。
逆を「ノミの夫婦」などというぐらいだから平均的には女性が小さかったのだ。
茶を飲み飯を食い、男は家を守る。
戦さにも出かける。
飯椀が大きくても不思議はない。図体の大きな男にはエネルギーが必要だ。
では箸はどうなのか。
夫婦箸はどうして妻の方が短いのか。
短い箸は使いにくいものだ。
夫婦茶碗の小ぶりの茶碗に合わせた箸ということだろうか。それも奇妙な話だ。
器はともかく、箸は指の長さもある。
古来でも細く長い女性の指は美しいとされていたわけだし、それに対しての短い箸はいかにも使いにくい。
小ぶりの茶碗や箸は雛祭りや「お食い初め」から来ているような気がしないでもない。
成人になる「元服」に相当するものは女性にもあった。
子孫を絶やさないために早めに男女をカップリングさせ子を産ませる。まだ幼い少女でも立派に母となる決意があった。
しかし、成人したと見做されても少女はまだ大人に較べれば食は細い。それでお食い初めのサイズを踏襲したとも考えられる。
箸もそのまま幼女サイズを使い続けたのではないか。
あるいは、「女性はあまり食ってくれるな」ということだとも言えるかも知れない。
紫式部は小太りだったと言われ、モテたとはされていない。
古来でも肥満はあまりよしとはされていなかったようだ。
そういう美意識から箸を短くし椀を小さなものにして、女性はあまりみだらに食わない方がよいという誘導があったともできる。
他に「収納のため」という説もできる。
椀は重ねて仕舞うのだが同じ大きさではかさばってしまう。
こういう椀をピクニックのようにして箱に入れ野外に持ち出して外で食事をすることもあった。
そうすると椀の大きさの違いの理屈は通る。
その場合でもやはり箸まで短くするというのは引っかかる。
まとめてみると、1. 単に男女の平均的な体格差からできた、2. 幼女から元服して使い続けた名残り、3. 肥満対策、4. 収納。
これらの理由を考えることはできるが、夫婦箸の夫人用が短いことはあまりすっきりしない。
そうすると、「お食い初め」からの名残り、もしくは肥満対策というあたりになるのではないか。
短い箸で小さく食べればあまり食も進まないということ。
そして、女性は早くから結婚の準備をするのでそんな子供の頃からの名残りとして短い箸を使うということだろうか。
手の大きさは男女そうは変わらないから、体格差、つまり「決まり寸法」であるとするのは無理がある。
収納にしても箸となると説明がつかない。
箸箱は二膳がそのまま収納できるように作られているのが普通だ、長さの違いが考慮されている箸箱はほとんどない。
夫人用を短くする理由はない。
箸の数え方は「膳」と習う。
しかし「客」という言い方も間違ってはいない。
「客に出すもの」ということでそう呼ぶ。
座椅子、座布団、茶碗と茶托、一客、二客と、箸もそういう呼び方をしてもいい。
膳と数えるのは、茶碗についても「一膳」と言うことがある。
つまり食べたり飲んだりする目的に着目すると「膳」。
客をもてなすということに着目すると「客」と数える。
着目点の違いで数え方が異なる。
興味深い。
ちなみに「刺客」という言葉がある。
暗殺者、追っ手、首を狙ってくる者のことだ。
この「客」も同じ。
迎え討つ。すなわち「お迎えする」というわけだ。
もちろん、こちら側は返り討ちにするという前提ではある。
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