向付けはオカズか

2021年11月10日水曜日

古式生活 所作 食事

 オカズという言い方がある。

 現代的な言い方で、向付けということになる。


 ご飯、主菜、副菜、汁。

 これが和食の基本だからオカズというのは主菜ということになる。


 そうするとよく言われることが「ご飯に合うオカズ」という言い方になるが、実はこれはあまり正しいとは言えない。

 ご飯とオカズを合わせたりはしないからだ。





 和食の作法ではオカズをご飯の上に乗せて食ったり、混ぜて食うのは無作法とされる。

 作り手の気持ちをないがしろにするものだし、なにしろ本来の味が分からない。


 つまりご飯と主菜は一緒にクチの中に入れることはしない。


 和食にはその食べ方、そのケジメのために酢の物などの箸洗いというものさえある。

 その心はそれぞれの品を味わうということだ。

 だから、オカズがご飯に合うとか合わないという話には当然なるものではない。


 主菜を口にして、それが魚や煮物ならその味わいを味わう。

 それからコメという主食を口にする。

 膳にあるものはそれぞれが独立したものだからだ。




 このご飯を食べる時、漬物や香子があればツマむのはいい。

 コメは主食であり、特別な位置にある。


 汁や漬物はコメを食べる時のいわば道具のようなものとできる。


 汁はご飯の粘りを洗うものだ。

 食事中にお茶を飲むことはない。つまり茶は嗜好品であり、食事中にコーヒーを飲むことは西洋でもない。

 だから汁が必要になる。


 漬物や香子はコメに塩分を補う。 コメに塩を振り掛ける訳にはゆかないからだ。


 オカズ、つまり主菜の立場というのはそれとは違う。

 独立した食い物であり、だからご飯と混ぜてはいけない。




 どうしても混ぜたり、一緒くたにするというのであれば寿司やドンブリということになる。

 それは半ば非公式に公認された「食べ方」だ。


 これらは時間の節約やありあわせという感じで正式な食事ではない。便宣上そうして食うというだけだ。

 あまり格としてはよろしくなく、丁稚や沖仲仕、大工や職人などの日常食である。


 きちんと食事をするということであれば、主菜や副菜、ご飯と汁と漬物、それらを個別に味わい、箸を追って味わうというのが正しいやり方だ。


 懐石などはこれがはっきりしていて、だからご飯モノは主菜と一緒には膳に出されない。


 あくまで別々に味わってもらいたいというのがその心である。

 一方、我々としても別々な料理として向き合い、味わって食べることが求められる。





 こうして考えると「刺身はご飯のオカズにならない」とか、「味が濃いのでご飯にぴったりだ」などという現代風の言い方は間違っていることが分かる。


 刺身はそれ自体を味わうものであるし、濃すぎる味付けの料理だというならそれは失敗している。


 現代では時間と効率を追い求めるあまり、なんでも一緒くたにしてしまうことが習慣化している。

 面倒だということのために、旨いなどと言い訳にしていたりする。


 だから向付けや酢の物などをみなオカズと呼称して簡単に片付けてしまい、今ではそれを何とも思わない。


 だが、本当にその味が分かる食事ができているだろうか。

 コメに料理の味を移して食ってしまいコメの味が分かるのか。


 そうなら鰻の蒲焼のタレだけで飯を食う、そんな流行りも分かるような気がしてしまう。




 今の時代、やかましいことを言わなければご飯茶碗のコメに膳のものを乗せてしまい、一緒に食べるというのも珍しくないかも知れない。


 だが、和食の作法、その心構えとしてはある。

 人前でやれば育ちが知れる。


 慌しく食事するしかないような生活をしている人間は味などに構ってはおれない。普段から味わうことさえ疎かなのだ。

 雑事、瑣末なことに追われて食事を味わうことができないなら、他の問題も同様に合点がいったものでもないだろう。

 そんな人間には落ち着いて判断をするような立場、責任など任せられないし、軽挙妄動さえ心配される。


 我が国の文化では人に食事を振舞うことでその人を見るというところがある。


 もともと他人は信用できないものだから、作法や食べ方を見てその性根を試すのだ。

 油断できるのは人のいないところ、厠ぐらいか。




 昭和の昔はまだ「ながらご飯」などとして戒められたものだ。


 今は公然と「歩きスマホ」などと言っているが、その連中の醜悪さ、無責任さ、死んだ目をした無様さは筆舌に尽くしがたい。


 昔はテレビを見ながらだったり新聞を読みながらでも「ながら飯」を食うことの無作法が言われた。

 それはオカズを食いながらご飯を食うというのも同じだ。


 向付けの料理とコメという違うものを混ぜて、クチの中でグチャグチャやっている情景を少し考えればいい。

 他人にはどけだけ気味が悪いか分かるだろう。

 嘔吐したものを拾って食う人間などいない。


 ひいては食事中にクチを開い咀嚼すること、口の中を見せるのが無作法どころか気持ち悪い、汚い食い方だということになる。

 そんな当たり前のことだ。




 今ではコメも品種により多彩な味わいがある。

 せめていくつかの銘柄ぐらい、その違いぐらい分かるようにしたいものだ。


 ご飯の上にいちいちオカズを乗せて一緒に食っていればそれは分かりようもない。