長火鉢

2021年1月23日土曜日

古式生活 江戸時代

 古来から、日本には「室内で火を使う」という習慣があって、炭を入れ、室内で暖を取ったり湯を沸かしていた。

 それが火鉢というものだった。

 火鉢にも色々とその種類はあるし、その使う炭にさえ種類があるという。

 古道具屋に行けば状態のよい骨董の長火鉢は今でも売られているし、これを取り回して寛ぐリラクゼーションの効果というのは現代ではもっと注目されていいと思う。

 「長火鉢」というのはその火鉢の種類のひとつだ。

 炭を入れ、火種を持つそれと、机や小さなタンスが一緒になったようなもののことだ。

 それは男や「主人」というものと結びついている点で特異だ。





 時代劇でも小道具としてよく使われていたりするが、森の石松と次郎長のような話。

 ヤクザの親分が長火鉢の後ろにふんぞり返り、部下の報告を聞きながらキセルを一服やっている。

 その親分の前にある箱型のものは、一見すると商人の帳場のような箱だ。

 ちょっとした小机に見えるが、そこには炭があって火鉢が据え付けられていて鉄瓶がかかったりしている。

 親分は火とチンチンと鳴る鉄瓶を前にしていて、それでなぜか権威がある人物だと誰にでもわかる小道具になっている。

 それが長火鉢だ。


 そんなシーンはありきたりなほど、昔からよく描かれている光景だ。

 長火鉢というのは、落ち着いた立場の親分や隠居がこれを前にして座る、まさに男の権威を象徴する場所を作ってくれる小道具だ。




 考えてみると長火鉢というのは今でも活用ができるものでもある。

 もし、住宅事情が狭くて子供たちに部屋を明け渡してしまい、自分の居場所がないというのであれば、ひとつ持っておくといいと思う。

 リビングでそれを前にし、抱えるように座っているだけでいい。
 とたんにそこが主人にとっての居場所になる。

 そうして自分の居場所を得て男が落ち着くことができれば、今のテレワークの仕事さえ捗るかも知れない。


 少なくとも男にとって、リビングのテレビの前のソファなどは男の居場所にはとてもなりようもない。
 それはテレビが主役であり、ケジメになるものがないからだ。


 男の精神の健康のためにも、この現代でも長火鉢というのは使えるものだということを、心の片隅に留めておいたらいいと思う。

 日本の古来からの歴史も文化もまだ生きていて、我々の手に届くところにある。




 こういう長火鉢に類するものというのは、言ってみれば西洋人にとっての事務所机、デスクが同じものとしてある。

 日本の長火鉢と同じものと言っていい。

 マホガニーの立派なテーブルの向こうに腰掛け、来訪者を主人が権威で威圧しようとする。
 そんな西洋のプレジデント・デスクは、長火鉢と同じ感覚で使われていたことがわかる。


 
 デスクにも裏表が必ずあって、主人以外はその裏には回らない。

 長火鉢にも同じように表と裏があり、主人が座った内側は裏と呼ばれる。
 それはちゃぶ台とは違うものだ。


 裏と表があるものを使って居場所を作るということ、そのことだけでも、西洋でも日本でも、こうしたものには同じ意味があるのだとわかる。

 それが男の仕事を作る「居場所」ということだ。



 そこには日本の古式文化と西洋文化の共通点さえ見出すことが出来る。

 全ての仕事というのは、帳面や書類を基準にした仕事であり、最終的なボスがそれを取り仕切る。

 これはすなわち、どちらも「法治国家」であったということの証左だ。


 何も絶対権力者やカリスマのリーダーが書類や帳面を扱う必要はない。

 書類仕事の象徴である机や、勘定帳をみるための長火鉢のような小机の後ろに座っていなければ権力が振るえないわけもない。

 気に入らなければ処刑し、逮捕し、いくらでも指先ひとつで命令をすることができるのであれば、せいぜい必要なのは「玉座」だけだろう。

 つまり書類いじりを必要とする社会というのは法治主義に基づいている。




 デスクや長火鉢、小机で作られる「居場所」が、権力の象徴と結びつくことが多いのは、西洋にしても我が国にしても、支配や統治というものが「法律」とか「掟」、つまり紙に書くことができ人に伝達できるものに由来していたからに他ならない。

 だから、未開の文化では、短剣など武器そのものがその権力を象徴していたりする。

 絶対権力には正当性すら必要ない。
 法による根拠や帳簿と言う記録など必要はないのだ。


 つまり、書いてあって残されたものを使ったり、権力を執行をする「居場所」という体裁の必要がない社会ということだ。




 欧米や日本以外では驚くほどデスクや長火鉢に類するものがない世界というのがある。


 権力にとっての権威とは居場所なのだが、それがなくても困らない社会もある。


 それは未開で秩序がなく、あまり信用ができない社会だ。

 決められたことがない社会だからだ。




 男というのは家長であり、男が家計を支えるというのが大多数だ。

 それがたとえサラリーマンで妻帯していたとしても、狭いマンション住まいであっても、男に自分の部屋と机が満足にないようでは仕事の成果など期待できようもない。

 そういうことを称して昔なら、「出世の見込みがない暮らし」などと言われたものだ。


 いつの時代、どんな文化においても、秩序ある社会であり整然と統治されているのなら、権力のある者には居場所が必要なのだ。





 そして長火鉢というのは火を使う。
 危ないし管理が必要だ。

 女系文化の日本で、台所とは違う火を扱う火鉢があるのは男の復権とも言える。

 だから長火鉢という「デスク」の前で、男は権力を誇示できる。


 その小さな箱を前にして、そこに火が入れてあれば、すなわちその火の世話をするそこが男の居場所になった。


 現代においても、きっと長火鉢や書斎机さえあればもっと能力を引き出すことができる場合は多いだろう。

 さほど「自分のデスク」というのは必要なのだ。
 しかも、西洋のプレジデント・デスクより、古式生活の長火鉢というのは、ずっとコンパクトに済み、楽しいはずだ。


 居場所があれば必ず責任がついてまわる。
 そして仕事も捗るというわけだ。