陰腹というもの

2021年6月20日日曜日

江戸時代 武士道

 「陰腹」という言葉がある。

 「かげばら」という読みをする。

 誰にも知られないように密かに腹を切っておいてサラシで硬く固め、最期までの覚悟とする。
 やり遂げる瞬間を終わりの瞬間とすることだ。


 忠義に思いもかけないものがあったと主人が感服する話として言われるが、史実として実際にあったかどうか、つとに疑われることが多い。

 これは歌舞伎などのいわば脚色された演出だったのではないかと言われることが多い。


 しかし事実として切腹というのはされていたのだ。




 「切腹」、それはケジメをつける究極の方法だとされる。

 責任をつける最後の方法だ。


 それがひとつには自ら最期の始末をつけるというところにあるのだが、実際、それで本当に責任を取れたかどうか、ケジメをつけられたかということだ。

 氏んでしまえば後のことは分からない。

 それで責任をとったことに果たしてなるのか、その問いかけもまたある話だ。


 その点で言えば、陰腹というのはまだ先を見ながら最期を迎えることが出来る。




 例えば、わざわざ助かることを承知で飛び降りたり、どこかに飛び込んだり、あるいは薬物を接種するという話がある。

 睡眠薬などをやって、寝入り、そうして嘔吐しながら助かる。

 煩悶し、そのあまりに構って欲しい、気にかけてほしいという悩みが高じてしまう。


 しかし助かれば、後になって必ず言われるのが「助かると知っていたんだろう」という類の中傷だ。

 人には色んな事情がある。そして衝動がある。

 だが世間の風評というものは残酷だ。


 「先の成り行きを分かっててやったんだろう」などと言う向きはいつの時代にもいたはずだ。




 そう考えると、陰腹を切ったというのはあったかも知れない。

 あらかじめ腹を切っておいてその始末の場に臨むということ。

 決して助かることはない。

 ただ絶命の瞬間までその場をまっとうしようと姿勢を維持することはできる。


 分かっていて助かったと言われるしくじりや、風評を避けることができる。

 自分の潔さのため、とことん考えつくした挙句のやり方だったろうと思う。


 確かに覚悟は人に見せるものではない。

 助かれば氏に損ない、恥辱でしかない。


 だからわざわざ人知れず陰腹を切っておく、そしてその場に臨むのだ。




 切腹は潔さのためであり、何も「ためにする」ことではない。

 武士は風評を気にしたのだ。


 あくまで自身のケジメのためであった。


 潔さを突き詰めるのも難しい。

 日本人というものの複雑でセンシティブな感情が理解できなければ分からないことだろう。


 決して、この陰腹という話は、忠義話の脚色ではない気がするのだ。




 上の者が忠臣の忠義に気がつかず、むざむざ失ってから始めて自分の愚かさに気がつく、そんな垂訓話のようなものばかりではない。

 ひとつの責任の取り方、ケジメのつけ方としてあったのではないか、そう思う。


 今の世の中、あまりに覚悟がない。

 だからこんなものまで鼻を鳴らして疑ってしまうのだろうか、どうしてもそんな気がしてしまう。