欧米のスープの飲み方から所作の決まりごとを考える

2022年3月1日火曜日

古式生活 所作 食事

 

 シチューを馳走になった。洋風の汁、スープ。


 具の多いホワイトクリームシチューだ。

 マッシュルーム、豚肉、海老、人参、ジャガイモ、インゲン、そしてキャベツ。


 市販のクリームシチューのルーをベースに生クリームを追加して作ったもの。


 炒めたタマネギとマッシュルーム、そこに水からルーを溶かしていって、時間差で具を投入しているから具がしっかりしていて食べ応えがある。

 胡椒たっぷり、少しオリーブオイルの香り付けも。


 仕上げには生クリーム、上にはリコッタチーズが乗っている濃厚なもの。


 フランスパンもある。

 最後まで残さず食べて、ごちそうさま。




 さて、このシチューは、最後の方になったら皿を傾けてスプーンを入れる。

 欧米では手前に傾けるやり方と向こう側に傾ける方法の二つがある。


 私が教わったのは皿を向こう側に傾ける方法。

 どちらにもそれなりの理由と理屈があって興味深い。


 やってみると分かるが、手前に傾けてスープを飲むとスプーンからこぼれ落ちた汁が跳ねてしまう。

 胸元にまで跳ねてしまうことがある。


 だから皿を向こう側に傾けて、すくって飲む。

 そんな理屈が作法になった。

 ネクタイなんかをしている時ならこちらがいい。




 一方、向こう側に傾けてスプーンを入れるとテーブルの向こう側にハネが起こる。

 テーブルが小さかったり人と食事をしている時には相手への思いやりだ。

 皿をこちらの手前に傾けて飲めば配慮ということになる。


 代わりに自分の胸元にはナプキンをすればいい。


 イギリス人、アメリカ人は手前に傾けるやり方をする人が多い。


 彼らは特に恥ずかしい素振り見せず、ごく自然にナプキンを胸元にして食事をする。

 そして、手前に傾けてそれこそガツガツと豪快にスープを飲む。だからよくスプーンからこぼれ、汁がハネる。


 しかし食事の時、ナプキンを胸につけるというのは日本人にはちょっと恥ずかしく感じてしまうところがある。


 このナプキンが子供の「よだれかけ」のようでちょっと恥ずかしい。

 まるでハネてしまうのを前提としているようで、所作が雑だということを暴露している感じがする。

 私には少しためらいがある。


 彼らは実用的に割り切っているのか、特に引っかかるところもないらしい。





 フランス系、欧州大陸の人々は向こう側に傾けることが多い。

 ナプキンはあまり胸に引っ掛けない。


 膝に置いて口をぬぐったり指を拭いたり、手ぬぐいのように自由に使っている。

 ヘタをすればそのナプキンで鼻さえかんだりする。


 ナプキンを胸につけるにしても、申し訳程度に「胸に当てる」という感じで、所作に気をつけて食事をすればこんなものは要らぬといわんばかり。


 そして向こう側にハネないよう注意してゆっくりとスプーンでスープをいただく。


 これを個人主義と考えることもできる。

 相手側にハネるのはあまり考えない。ハネかせないのはあくまで自分の問題だ。


 それぞれのやり方と考え方がある。





 パンにしても最後の最後に皿をこすっていただくという人。

 それはいかにも意地汚いということで、最後はスプーンで終わらせるという人もいる。


 色々みんな考えがあってやる。

 「気づき」がある。

 

 それがいちいち考えていると面倒だというので、「マナー」という形になる。

 覚えていつものようになぞればいいようになってゆく。


 ちょっとした文化人類学。


 我々のような異文化からすれば、マナーには「気づき」という理屈が最初にあったというのはあまり伝わらない。

 やってみて「なるほどな」と思うぐらい。


 たいていのマナーというのはストーリーや文化的背景から説明される。



 いわく、皿を手前に傾けると毒を入れられることはない、と。

 イギリスは騎士の国だ。


 皿を向こうに傾けると皿の底面を見せることにならぬので失礼がない、と。

 フレンチは王宮、貴族の国。


 処刑して王族をなくしてしまったのはまた別の話だ。

 それに皿の底面は汚いものだから、なんて話がされる。



 マナーにはまず説明、歴史などがある。

 理屈はむしろ脇へやられている。 




 他に有名なのは「ジャガイモはナイフで切ってはいけない」というもの。


 昔は銀食器、銀のナイフとフォークだから、切るとジャガイモが黒く変色してしまった。

 だからジャガイモはフォークで潰すのだ、というもの。


 子供の頃にこれを聞いて、そういうものかと納得した。



 しかし実際は潰してソースを絡めた方が美味しいからという話。

 むしろ実用的な食べ方の問題だ。

 それぞれの人が、ペースト状に自分で皿の上で美味そうにジャガイモを好みに作り、パンに乗せて食べた方が面白い。



 そういう地方のナイフは鋭くて唇が切れそうなものを使っている。「ナイフを舐める」なんてできないぐらいの鋭さだ。

 ナイフは肉を切るもの。魚用のナイフは丸くなって鋭くない。

 それぞれの役割でそれぞれの道具が当てられている。


 その上、サクサクと皿の上で切っているとまるで調理しているようになってしまう。




 「説明は後でつけられマナーの理由になる」


 「必要や道理、理屈は最初にやり方を決める」


 どこか日本の場合と違う気がしないでもない。

 

 日本の場合にはまず説明、つまり宗教的な理由や武士道の精神、心構え、そこから所作が決められる。

 利休をはじめ、所作について考えた結果、精神がある。


 理屈や道理は後で符合することがあるというぐらい。


 日本の文化はまず説明があってその心に従おうとすることが多い。


 まず何かを決める。そして決めたことを守ってゆく、そんな血が我々日本人には流れている気がする。