玄関から庭へ 古式生活 食事 茶室でのこと

饗応と庭

 古来から日本人は、人を「食事にどうぞ」と、自宅に呼んだ。  食事に呼ぶことは人との交流の方法としては確実やり方だ。  そして手料理をふるまう。  家へ招き入れ、心づくしのものを食べてもらう。  こちらも一緒に食べながらお互いを知ろうとする。  作った同じ物を食べるという場、饗応...

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振袖の長さ

 華やかな茶席があちこちで立っている新年。  まだ松の内だ。  俺にはあまり関係がない。  それこそ呼ばれるのも何かのご縁。 その付き合いをやめてしまったから。    そんな昔、着物で女性が正式にして、振袖なんかで集まったところに行った。  やはり正月...

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玉砂利は踏んではいけない

 先日、踏み石をゆっくりひとつずつ歩く、それが茶会へ臨もうとする客がリズムとペースをしつけられているのだ、ということを書いた。  そして主人ならその茶室をよく理解して、茶会を仕立てなければならない、と。  もちろん。だから、玉砂利は決して踏んではいけない。  玉...

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踏み石のこと

 茶室へ向かう時、寺でもどこでも、大きな庭を横に眺め、そして踏み石を踏んで向かう。  この踏み石というのが若い頃は苦手だった。  なにしろ歩幅が狭い。  そして置いてある石の間隔がいかにも中途半端に感じるから。  ひとつ飛び越して歩こうとすると撒かれた石を踏ん...

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自己研鑽し新しい時代へ

 自己研鑽を積み重ねて生きてゆく。それは心の平穏であり、不安はない。  最近は、やたらと孤独だ寂しいだなどと言うが、果たしてそれほど人に要求するだけのことがご自分にはどれだけできているのか。  まずはそれを考えるべきではないか。  眺めのよい庭は、毎朝早く、掃き掃除...

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吾、唯、足るを、知る

 「稽古とは、一より始め十を知り、十より戻る元のその一」  好きな言葉だ。  「吾、唯、足るを、知る」  (ワレ、タダ、タルヲ、シル)  意匠もあって、庭のシシオドシがとても気に入っていたのだが、最後に先生にこれを書いた茶さじを貰って、もっと深い味...