享楽的なことは悪である

2020年7月24日金曜日

古式生活 江戸時代 武士道

 今は外国人との接点も多くなり、我が国にとって客人に過ぎなかった者が色々と口を出すようになった。

 これさいわいと、これを利用して自らの堕落を糊塗しようとするのもいるし、日本文化を破壊しようと画策する者もいる。


 なんということはない戦国時代が国境をまたいでいると考えればいい。


 「奢侈」というものが禁じられた。

 飢饉に対して増長した商人たちが自分たちの権勢を誇ろうと贅沢を競ったことに対して禁止令を出した。

 だがそれ以前より前から、享楽的なことは我が国では悪とされた。

 厳しい節制や自制心、自分を律する心がなくては成仏すらできない。

 亡霊のようになってこの世を彷徨うのはそうした愚かで惨めな魂だ。


 今、日本を様々なやり方で貶め、我が国の文化を動かそうとする者が後を絶たない。


 それは普通なら容易く退けられるものだ。

 「不便なら家政婦を雇えばいい」

 それはお前たち移民どもの仕事が欲しいと言っているつもりだろうが、我が国では殿様すら自分で出来ることは自分でした。
 
 
「なぜ苦労して手作りにこだわるのか分からない、日本人は気持ちをこめることにこだわりすぎだ。」
 信用ならない人間にはテストをする。手が腫れてもやり続ける気持ちがあるかどうかだ。カネを払ったからその見返りがあるなどとは妄言に過ぎないことはお前たち外国の文化を知っていればわかるだろう。執事は馬鹿な主人に影で唾を吐く。


 そうしてこれらの結論なは必ずひとつの享楽的な前提がある。

 いわく、「人生を愉しんだらいいのに」と。

 なぜお金で済むのに済ませないのか、と。


 我が国の古来の人生の愉しみ方とは徹底したものだ。

 裏があっては楽しめぬ。

 嘘があってはシラけてしまう。


 魂を寄越せ。それが我々日本人の文化だ。


 命が軽く、人生に重みがなく、魂が彷徨うだけの異国の連中が日本をクチにする。彼らは絶対支配の下にいる決して下克上のない永遠の奴隷たちだ。

 自由な近代社会で彼らは自分らの奴隷根性を日本批判で慰めようとする。

 そんなことを外国人から言われて炎上しない国などないのだが。


 こうした連中の甘えは、殿がいれば忠臣が殿のために即座に斬り捨てるだろう。