腹芸というもの

2021年9月9日木曜日

江戸時代 武士道

 最近の人は「腹芸」と言ったらどう思うだろうか。


 よくある温泉旅行の懇談会、そんなので興の乗ったオヤジが腹を出してそこに化粧をし、顔を隠して腹をよじらせる。

 安来節(やすきぶし)を踊ったりする余興。


 顔を隠し、大きな腹が顔だ。それはまるで人間が奇妙な顔をしているように見え、みなが笑う。


 そんなところだろうか。




 しかし腹芸というと、「腹黒さ」という言葉にもあるように、腹黒い策謀を首尾よくやってのける能力、そんな意味もある。


 政治の駆け引きのようなもの、それが「腹芸」と言う言葉でもある。


 「芸」と言うからには「得意とする」という意味になる。武道のことを「武芸」と言えば得意とするという意味を含む。


 そんな腹芸が得意な連中は信用するには当たらないものだが、身内であれば有能な上司だ。


 腹芸というのはそんな言葉だ。



 「腹にいちもつ」などと言ったり「あいつは腹では何を考えているのか分からない」などと警戒したりする。

 「腹の底から笑った」りもする。


 要するに、腹はアタマで考えるよりずっと深いところでの感じ方、深謀を意味する。


 これは「胆力」ということ、「丹田」に通じる。

 「丹田」とは、ヘソのちょっと下あたり古来から重要なポイントとされてきたところだ。


 交渉ごとをするならこの部分にチカラを入れて話す。そうすれば相手を威圧し圧倒する。


 交渉ごとはお互いに座って差し向かい、目を見つめてする。

 うっかりすると刀を抜かれてしまうような気迫がそこから出る。



 また切腹は武士だけに許されるものだ。

 乱れた公家が問題になった猪熊事件では糾弾された公家は打ち首が後陽成天皇により要求された。

 武士でなかったりその罪が許しがたい場合は磔獄門や打ち首ということになる。


 前回の「陰腹」という話もある。


 畢竟、「腹芸」とは武士のすることであると言える。

 武士は今の政治家や官僚に当たる。


 だから腹芸とは彼らが深いところで行う策謀ということになる。

 腹だから声には出ない。文書や直接の指示はしない。


 阿吽の呼吸で読み取らせ、自分のために人を動かしたりすることだ。


 腹芸が出来なければ人に読まれてしまう、証拠が残る。

 それではうかうか一緒には乗れないということになり、あまり有能ということにはならない。


 言外に要求し、こちらの知らぬところでやってもらう、そうした意思疎通だ。




 卑近な例だが自民党総裁選、石破茂が総裁選立候補のための推薦人を「貸して欲しい」と頼んで回ったそうだが断られたという。

 彼についていく人はほとんどいないようだ。


 これを不自然なこととする向きもある。なぜ推薦人を貸してくれなどということが伝わってしまうのか、と。


 推薦は支援したいからするのであって力関係ではないか、推薦などそんなものが貸し借りできるものなのか、と。


 その派閥が別な人物を推しているなら裏切りに近い、貸すなら陰で石破に推薦人を貸してやればいいのではないか、と。



 

 しかし腹芸ということを考えるとこのあたりの事情が分かるかも知れない。

 これはわざわざ石破がクチに出して言わねばならないことだった。


 彼の今の立場ではこれを腹芸にはできないのだ。


 わざわざ「借りた」と公にしておけば、その派閥が別な候補者を推していたとしても通る。

 その派閥が別な人物を支持したとしても裏切ったということにはならない。


 石破が総裁になればそれなりにポストが用意される、そういう取引であり交換条件でしかない。

 それは石破を支援するということにはならない。


 だから、貸してくれる派閥のためにわざわざ借りるということを石破は公にしなければならなかった。

 貸したとしてもあくまで貸し借りでしかないというわけだ。

 石破を総裁として支持しているかどうかはまた別の話だ。

 それでも貸してもらえなかったようだが。


 これがもし腹芸ができるなら誰かを動かすことだろう。何もあからさまに公にする必要はない。

 何かがあったのだろうと疑心暗鬼にさせて逆に効果的だろう。


 だが石破にはそうした人望はないようだ。