男だ。
確かに男がいた。さっきまで。
男が、我々の家の玄関の前に暫く立っていた。
さっきまで。
外でタバコを吸おうと、玄関を出たらその臭いが分かった。
さっきまで、俺が中で茶を飲んだりしている時、その間中、そいつは玄関先で中をうかがいじっと外で立っていたはずだ。
それが俺にはわかった。
プーンとする男の臭いだ。
服に染み付いたホコリっぽい臭い。その男の臭いが分かった。
最近は、音や声なんかよりも臭いでむしろ分かることが多い。
俺たちを襲うつもりなのか、様子を調べている奴がいるのか、ともかく男の臭いがした。
さて俺には何ができるだろうか。
この臭いを知っていることで俺には何ができるだろうか。
家人と二人、静かな生活だ。
別に犬ではないのだ。
その臭い辿って、どこにいるのか突き止めることはできない。
では犬を飼ってみようか。
しかし犬にそんな仕事をさせるのは忍びない。
人間の、汚れた社会のいざこざなど犬には無関係だからだ。
俺は犬をそんなことに巻き込みたくはない。
古式生活ではあまり犬を使わなかった。そこは西洋の文化とは違うものだ。
江戸の昔、生活の周辺にはせいぜい野犬ぐらいしかいなかったものだ。
結局、だから外に誰かがいたことしかわからない。
用心をし、想定をするだけだ。
旅館の二階、古女房と晩酌をしていた竜馬は外のざわめきを感じた。
いや、最初に不穏なものを感じたのは女房のお龍の方だった。
お龍は不審を察知すると裸で風呂から飛び出し、二階の竜馬に危険を知らせた。
有名な京都の寺田屋事件である。
そうして辛くも逃げのがれた坂本竜馬だった。
お龍はこの時、何の害も受けていない。
サムライは女子供など相手にしないものだ。それがどんなに不逞不埒な輩であったとしても。
我々は警戒し、誰かが扉の外に立っているかもしれないと常に想定するしかない。
日本の家屋では襖越しに槍や薙刀を使うことがあった。
常在戦場。世の中はこんなことばかりだ。
いつものお手伝い、御用聞き、配達人、いつもの顔ぶればかりではない。
いつも用心し、いつでも刀に手をかけられるようにしておくことだ。
小手。手を切りつけるだけでそれは致命傷になる。剣道ではそれで一本となる。
映画のチャンバラではない。
胴、面、小手、すべてが致命傷になる。だから一本なのだ。
武器を常にそばに置いておくのは古来からの常識である。
竜馬は銃を使ったが銃などいらぬ。
感覚を研ぎ澄まし、いつでも応じられるようにしておくことだ。
こういう備えの場合、大刀よりも脇差がよい。
室内で大刀を振り回しても邪魔になるだけだ。
小ぶりの脇差の方がよほど役に立つ。
大刀は刀そのものが美しいとされることが多いが、脇差は鞘のこしらえなど見るところも多い。
床の間には脇差がある。
接近して対峙する。
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