臭いで分かる

2020年12月19日土曜日

古式生活 江戸時代 武士道

  男だ。

 確かに男がいた。さっきまで。


 男が、我々の家の玄関の前に暫く立っていた。

 さっきまで。



 外でタバコを吸おうと、玄関を出たらその臭いが分かった。

 さっきまで、俺が中で茶を飲んだりしている時、その間中、そいつは玄関先で中をうかがいじっと外で立っていたはずだ。

 それが俺にはわかった。


 プーンとする男の臭いだ。

 服に染み付いたホコリっぽい臭い。その男の臭いが分かった。


 最近は、音や声なんかよりも臭いでむしろ分かることが多い。

 俺たちを襲うつもりなのか、様子を調べている奴がいるのか、ともかく男の臭いがした。



 さて俺には何ができるだろうか。

 この臭いを知っていることで俺には何ができるだろうか。

 家人と二人、静かな生活だ。


 別に犬ではないのだ。

 その臭い辿って、どこにいるのか突き止めることはできない。

 では犬を飼ってみようか。

 しかし犬にそんな仕事をさせるのは忍びない。


 人間の、汚れた社会のいざこざなど犬には無関係だからだ。

 俺は犬をそんなことに巻き込みたくはない。

 古式生活ではあまり犬を使わなかった。そこは西洋の文化とは違うものだ。


 江戸の昔、生活の周辺にはせいぜい野犬ぐらいしかいなかったものだ。


 結局、だから外に誰かがいたことしかわからない。

 用心をし、想定をするだけだ。


 旅館の二階、古女房と晩酌をしていた竜馬は外のざわめきを感じた。

 いや、最初に不穏なものを感じたのは女房のお龍の方だった。

 お龍は不審を察知すると裸で風呂から飛び出し、二階の竜馬に危険を知らせた。


 有名な京都の寺田屋事件である。

 そうして辛くも逃げのがれた坂本竜馬だった。


 お龍はこの時、何の害も受けていない。

 サムライは女子供など相手にしないものだ。それがどんなに不逞不埒な輩であったとしても。




 我々は警戒し、誰かが扉の外に立っているかもしれないと常に想定するしかない。

 日本の家屋では襖越しに槍や薙刀を使うことがあった。


 常在戦場。世の中はこんなことばかりだ。

 いつものお手伝い、御用聞き、配達人、いつもの顔ぶればかりではない。

 いつも用心し、いつでも刀に手をかけられるようにしておくことだ。


 小手。手を切りつけるだけでそれは致命傷になる。剣道ではそれで一本となる。

 映画のチャンバラではない。

 胴、面、小手、すべてが致命傷になる。だから一本なのだ。


 武器を常にそばに置いておくのは古来からの常識である。


 竜馬は銃を使ったが銃などいらぬ。

 感覚を研ぎ澄まし、いつでも応じられるようにしておくことだ。




 こういう備えの場合、大刀よりも脇差がよい。

 室内で大刀を振り回しても邪魔になるだけだ。

 小ぶりの脇差の方がよほど役に立つ。


 大刀は刀そのものが美しいとされることが多いが、脇差は鞘のこしらえなど見るところも多い。


 床の間には脇差がある。

 接近して対峙する。