茶室には一輪の花が挿してある。
活けてある花ではない。
茶室の花はそこに一輪だけ、そっと挿してあるだけだ。
美しさをめでるという意味はない。
茶室を洒落たデザインにする意味でもない。
それは生命を茶室に呼ぶための呼び水のようなものだ。
触媒のようにして、その一輪がその場を引き締めるからだ。
我々が主人と相対して、床の間に掛け軸があったり、外ではシシオドシが鳴っていたりする。
そこに一輪の花があることで生命に関することなのだというのが、お互いに判かる。
切りつければ血を流す生命が二人、茶室に座っている。
そのために一輪挿しはある。
切り取った、先ほどまで咲いていた花が挿してある。
時代が時代なら、そこに切った首さえ置いたかも知れぬ。
抜き身の人間同士が相対する場を飾るたった一輪。
それは命であることを示すための符牒と言ってよい。
活けてある花ではない。
茶室の花はそこに一輪だけ、そっと挿してあるだけだ。
美しさをめでるという意味はない。
茶室を洒落たデザインにする意味でもない。
それは生命を茶室に呼ぶための呼び水のようなものだ。
触媒のようにして、その一輪がその場を引き締めるからだ。
我々が主人と相対して、床の間に掛け軸があったり、外ではシシオドシが鳴っていたりする。
そこに一輪の花があることで生命に関することなのだというのが、お互いに判かる。
切りつければ血を流す生命が二人、茶室に座っている。
そのために一輪挿しはある。
切り取った、先ほどまで咲いていた花が挿してある。
時代が時代なら、そこに切った首さえ置いたかも知れぬ。
抜き身の人間同士が相対する場を飾るたった一輪。
それは命であることを示すための符牒と言ってよい。
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