日本のどこでも、地方自治体の地域センター、集会所と呼ばれる場所がある。
集会をしたり、選挙なんかの投票所としても使われる。
たいていの集会所には和室がひとつはあって、そこでお茶を立てられるようになっている。
それこそ、茶室だっていつも使われているわけではないから、ちょっと散歩ついでに覗いてみて、もし空いていたら邪魔してみたらいい。
何もない空間。
薄暗い空間。
そこに座っていると空気が動いていないのがわかる。
なぜかいつも静かだ。
我々はなんと騒がしい日常を過ごしているものか。
そうだ。これと似た静けさを俺は違う世界で知っている。
それは教会。大聖堂だ。
あそこも同じように静かだった。だが、思い出せばどうにも明る過ぎる。
昔、それこそ京都が今ほど観光地化されていない昭和の時代のこと。入場料だって取らなかった。
寺の縁側に座ってじっとしていた。観光客もいない。
一時間、二時間ぐらいその苔蒸した庭を見つめ、何かつかめるものはないかと待っていた。
頭の禿げた寺男が来て、茶室があるから来ないかと呼ばれた。
会話するわけでもなく、小僧の俺に茶を出してくれて、少し作法を習った。
言葉のない会話というのもあるのだと思った。
悟りなんてそうは拓けるものじゃない。自分の甘さが恥ずかしくなった。
集会をしたり、選挙なんかの投票所としても使われる。
たいていの集会所には和室がひとつはあって、そこでお茶を立てられるようになっている。
それこそ、茶室だっていつも使われているわけではないから、ちょっと散歩ついでに覗いてみて、もし空いていたら邪魔してみたらいい。
何もない空間。
薄暗い空間。
そこに座っていると空気が動いていないのがわかる。
なぜかいつも静かだ。
我々はなんと騒がしい日常を過ごしているものか。
そうだ。これと似た静けさを俺は違う世界で知っている。
それは教会。大聖堂だ。
あそこも同じように静かだった。だが、思い出せばどうにも明る過ぎる。
昔、それこそ京都が今ほど観光地化されていない昭和の時代のこと。入場料だって取らなかった。
寺の縁側に座ってじっとしていた。観光客もいない。
一時間、二時間ぐらいその苔蒸した庭を見つめ、何かつかめるものはないかと待っていた。
頭の禿げた寺男が来て、茶室があるから来ないかと呼ばれた。
会話するわけでもなく、小僧の俺に茶を出してくれて、少し作法を習った。
言葉のない会話というのもあるのだと思った。
悟りなんてそうは拓けるものじゃない。自分の甘さが恥ずかしくなった。
0 件のコメント:
コメントを投稿