裾を払って座る

2019年12月24日火曜日

茶碗を回す

 座る時、裾を払う。

 着物でなくズボンであっても、裾を払う仕草だけでもするとよい。




 そうすると着物でなくとも着物と同じ心構えが得られる。

 自分の裾は払われるもの、敵に狙われるものだ。だからこちらからあらかじめ払っておいて狙われないようにしておく。


 加えて、あたりの空気をやたらとかき回さない。乱さないような意味もある。


 人にお茶を点てる時はもちろんのこと、独りで茶をたてる時でも、自分のためにやる。




 
 悩み多き時代だ。

 しくじりや後悔、先の予測や目標など、思うことは色々ある。

 人の心を読んだり、動きを読んだり、立ち向かう算段をしたり。




 そういう考えを巡らせる時、とりわけ何かを読もうとする時は静かにしようとするものだ。

 じっと物陰で息を潜めて獲物を伺うのと同じだ。

 自然と鼓動さえ静かにしようと心が働く。



 だからなるべく体に身につけているものでも邪魔しないようにする。

 それが裾を払うということだと思う。



 海外の先住民には狩をする時は裸になる人々がいるという。




 誰かに裾を狙われないようにするため、自分が狙っているものに乱れた空気を伝えないためでもある。


 一瞬の隙を逃さないつもりなら、自分も気をつけるべきだ。