今でこそあまりないことだろうが、昔は見当違いな人にモノを頼むと露骨に嫌な顔をされたりした。
店員に売り場など尋ねれば案内係がいるじゃないか、そんな顔をされた。
あるいは、どうみても担当ではなさそうだが、どうせ同じ社員だろうと、探すのを怠けて頼みごとなどすれば、「それは私は係りではないので・・・」なんて逃げられた。
今は世の中は妙に気を遣うようになっているからそんなことはないが、それでもタライ回しにされたり、やたらと待たされたりはする。
しかし今だって似たようなことはある。何か作業を依頼したりしようと工務店や販売店に頼もうとすると「それはウチではやってないスよ」なんて平然と言われるのだ。
どうして世の中は金を払うといっているのに拒否される場合があるのだ、そんなことをこぼしてもどうにもならない。
実はそれは我々の責任だ。我々が分かっていないのだ。
誰に頼むべきか、誰の仕事か分かってなければならないのは実は我々の方なのだ。
人の会社の組織までは分からない、そんなことは向うの問題だ。そう思うなら待てばよい。
ちゃんと対応はしてくれている。
時間がかかることに不平など言うべきではない。
担当ではない人間に頼んだのだから、イレギュラーなことをやらせている。
そのコストを負担しているわけではあるまい。
昔からそうやって世の中の仕組みについて知るようにと、教育というものがあった。
分かってない者が、丁稚に寺男に頼むようなことを求めれば鼻で笑われた。
今は複雑化したシステム社会だからみんながどうにか対応してくれる。
誰が担当なのか、誰に責任があるか内部でも分かりにくいから求めれば応じてくれる。
ただそれは親切からではない。
迷子になったような客がいると、とかくトラブルの種だからと気を遣って対応しているというだけなのだ。
人の仕事をちゃんと理解しておけ。
それは自分が求めるものを得られることにつながる。
仕事の仕組みをあらかた理解し、求めるものを誰に頼むか決められるようにしておけ。
そうでなけば見当違いな要求をする者だと、イレギュラーな扱いをされるだろう。
そこには「そぐわない人間」ということになるのだ。
怠けずに考えよ。
制服がその立場を表している。
誰が床の間を背にしている。誰が主人で誰が客か。
その者が立っている場所が、何が出来るかを示している。
誰でも同じことをするようにはなっていないのだ。
そういう意味では、会社の方も派遣と社員、臨時雇いの区別をつけてそれを見せるようにしていなければいけない。
隠すのは結局コストしか考えていないからだ。
人の仕事を理解しておかないと道理にかなったものが得られない。
道理を理解していないからその会社のこと、窓口の違いが分からないのではないか。
作法や所作を間違うのは役割を理解していないからだ。
我々は人に指示を出す立場にある。
ならば誰に指示を出すべきなのか、誰に礼をしなければいけないか、予め知っておかねばならないのだ。
客と主人という関係。茶室の中でそれを理解するのと同じこと。
人に相対して座っているのだと、その責任をわきまえよ。
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