サムライにとって刀は道具だ。
人を殺すための道具。
料理人が包丁を、「魚を殺す武器」とは考えないように、サムライはその道具であっさりと人を斬る。殺す。
もし、その刀を「武器」などと考えていたサムライがいたら、戦国の世ではきっと長生きはできなかったに違いがない。
道具はメンテナンスをする。そしてその道具を慈しむ。
その道具と持ち主の、お互いのつながりが闘うために役に立つ。
だから、刀には魂が入っている、持った者の魂が込められているというのだ。
銘があるから魂が込められているだけではない。その持ち主の魂が入っているのだ。
そしてそれを次の持ち主は引き継ぐ。
武器として考えてしまえば、どうしても使い捨てになる。
弓矢の矢尻を考えてみればいい。
武器がなくなってしまえば危機となる。
使うことが惜しくなることもある。
それが油断を生み、命を奪われる。
刀を道具と考えれば、それは惜しみなく使われる。
殺すことすら他愛もない。
もし武器と考えるなら、必ず使う場面を選んでしまうことになる。
その躊躇が命取りになる。
だから、現代の我々も包丁の手入れをすることでその連帯感を分かち合うことが出来る。
包丁も刀も、魂が入って生きているのだ。
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