蕎麦せいろ、敷きす

2020年3月27日金曜日

食事

 「せいろ」と言うと、蒸し器のせいろを思い浮かべるだろうが、蕎麦も昔は蒸していたと言われている。


 「蕎麦がき」みたいなものは今でもある。



 だから、茹で上がった蕎麦が小型のせいろに盛られるようになったのもその名残りとも言える。



 この蕎麦せいろには簾(す)が敷いてある。

 「巻き簾」、「巻きす」というのは、巻き寿司を作る時に使う竹が編まれたもの。

 竹をシート状に仕立てた調理器具だ。


 この竹の暖簾のようなものの上にまず海苔を敷き、酢飯を載せ、具を載せてクルクルと巻き寿司を作る。



 蒸しせいろだと、初めから造作が一体化していて、下からの湯気を通すために切り込みが入っていたりする。
 
 あまり敷き簾がある蒸しセイロは見かけない。


 蕎麦は箱型の蕎麦せいろがあり、そこに敷きすが敷かれている。




 実は今の時代、何もあれは昔の名残りだけで今も使われているわけではない。

 茹でた蕎麦をその敷き簾を敷いたせいろの上に出すというのは、改めて理由がある。



 せいろの上に敷き簾を敷いて、その上に蕎麦を盛る。

 そうして食べ終わったらその敷き簾を水で流すと、細かな蕎麦の残りかすがすぐに洗い落とせる。


 もしザルにそのまま盛ってしまうと、細かい蕎麦の破片などがザルの目に入りこんだり残ってしまう。
 洗うのにひと苦労する。

 敷き簾が受け止めていれば便利なのだ。


 わずか敷き簾ひとつが敷かれただけのことなのに、まるで片付けの手間が違う。



 
 日本人の生活はそういう合理的で理屈の立つことで成り立っている。


 納得のゆく生活というのは穢れのないものだ。隣の文化にはそのようなものはない。

 理不尽で我侭で、自分勝手なものばかりだ。



 不合理なことを武士は嫌がった。

 その厳しさが日本人の魂を育てたのだ。