湿気、湯気というもの

2020年1月8日水曜日

茶室でのこと

 釜から静かにかすかに湯気が上がっている。

 その向こうで主人が所作をしている。

 こちらはじっとしている。



 湯気が冷たい茶室に静かに漂っている。


 日本は多湿な気候だ。

 それがあったからこそのこうした所作なのだと思う。

 釜や風炉で湯を沸かし、その湿気を部屋に流すことにはひとつの意味があるように思えてくる。




 空間の触媒としての湿気。

 それが釜から漏れている。


 湯気が茶室に漂っているような気がする。

 そうすると、お互いの存在が触れ合うように感じられる。

 そして余計な所作、不用意な動きを戒める。



 ザワついた人間の存在が鎮まるのだ。



 そして、主人が蓋を取ると、まさに湯気が立ち昇ってゆく。

 湯気を主人は気にしないかのように所作を続ける。

 蓋置きに蓋を乗せ、柄杓で湯を汲む。


 それを我々は立ち昇る湯気越しに見ている。


 やはり客はみだりに動いてはいけないことが分かる。

 その立ち昇る湯気は主人の動きだけを映さねばならないからだ。



 それは緊張でもあり、もてなしにかしこまった態度でもある。

 自分の程度が試されている気がする。