釜の蓋を開けると湯気が水滴となって滴る。
こういうものはよしとしない。
茶室が湿っていてカビ臭く、畳がしなるようなところもあれば、常に乾いて乾燥し、キリッと引き締まった佇まいのところもある。
主人の心を映していると言われても仕方がない。
余計なものは邪気にもつながる。
きっぱりと拒絶する仕組みが工夫される。
それで蓋置きというものを使う。
たいていは竹を寸胴切りにした簡素なものだ。
同じ形状で陶器のものもある。模様のある洒落たものだが、時代ごとの流行りと考えた方がよい。
心を追求するための道具としての茶の時代もあり、可愛らしさや癒し、落ち着くための道具としての時代もあった。
それぞれが遺物のようにして我々に様々な顔を見せる。
柄杓から湯を取いて先を置けばその水滴も蓋置きへ落ちる。
釜の蓋を置くところと柄杓を置くものが同じというのは所作に影響を与える。
釜の蓋を取りその蓋を蓋置きへ、湯を茶碗に注いで蓋を戻す、そして柄杓を載せる。
一連の動作にムダがなければ余計なものは必要がない。
あれこれとママゴトのように道具が必要ということもない。
余計なもの、もう一つ何か欲しい、あればよいと思うことは、どこかにムダがあるということなのだ。
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