湯斗について

2020年1月21日火曜日

食事

湯斗というものがある。

懐石料理で釜を洗うための湯を出してくれるもの。

木製で漆塗り、片手持ちの大きめの急須のようなものだ。


白湯を入れておき、箸洗いついでにこびりついた器をその白湯で洗いながら飲む。


食った後も器を汚さないようにして仕舞う。

そこに質素堅実な日本人の心がある。

そうして「湯」を大事にする心がある。沸かす手間や燃料のことが思慮されている。湯とて貴重なものなのだ。




しかし一般に一番に身近なものと言えば蕎麦屋のそれだろう。

蕎麦屋で冷たい蕎麦を注文し、食った後、蕎麦湯を注文すると湯斗に入った蕎麦湯が出てくる。

 たいていは菱形だろうか。


 この蕎麦湯の旨さが蕎麦屋の味の証明でもある。

 旨い蕎麦屋なら繁盛しているから蕎麦湯は濃い。どんどん蕎麦を茹でるから濃くなってゆく。

 
 蕎麦の実の味が溶け込んだ蕎麦湯は格別だ。



 懐石の湯斗を蕎麦屋で使うようになった経緯はよく知らない。

 ざる蕎麦とかせいろに蕎麦を盛るなんてことを考えた商人がいたのだから、似たような発案があったのだろう。

 蕎麦の味が出たその茹で汁は貴重なものなのだ、と。

 何事も無駄にしないようにする。



 静かな蕎麦屋で、食った後に蕎麦湯を飲んでいるとほっとする。

 食うのは独りがいい。


 客はみんな押し黙って蕎麦を食っている。そこだけは争いやいざこざのない空間になるように、と。



 サムライの時代から、ペラペラと無用な言葉を使うことを日本は嫌った。

 今は必要以上に説明が求められる。

 ならば短く、的確に伝えられればいいと思う。