人を自分の左に置く

2020年2月11日火曜日

武士道

 歩いている時、いつも自分の左に人がいてくれないと気が済まない。

 自分は右利きだから、間違った態勢になっていると、自分の左側にいてもらうよう、さりげなく自分が右側に移動したりする。
 それは常に相手を自分の左に置くようにするという動作になる。
 それを嫌がる相手とは緊張が生まれてしまう。

 何でも「主導権」ということを考えてしまう相手とはとかくやりにくい。


 距離が生まれ、お互いに離れて歩くことになる。

 こうしたことは日常のよくあることだ。
 誰が相手でも、嫁でも、相手が男でも。

 そういうことに敏感な男はすぐ私に指をさす。
 「お前はいつも俺を左側にしようとする」と。
 その意味が分かって言っているんだろうか。

 左に置いておくことには敵意はないということなのだ。
 左脇に差してある刀を抜いて斬ることは難しいからだ。

 右ならそれがいとも容易くできる。

 態度や癖というものには様々な隠された意志が見える。


 分かっているのだろうか。
 その態度には友好的な意味があったりすることを。
 

 どうしても左が嫌な相手たせというなら、刀ではなく拳銃と考えるしかない。
 拳銃は自分の利き手側に差すものだから。
 右側に友を置いて歩くなら、それは友好的な位置とできる。

 拳銃があるから、そちらに相手を置くのだと思えばよい。
 夢想、妄想、架空の想定である。
 別に武器はひとつの種類に限って考えることでもあるまい。

 拳銃、Gun。
 いや、「種子島」というべきか(笑)。