湯呑み茶碗の蓋

2020年2月14日金曜日

 「湯呑み茶碗」といったら、濃茶の茶碗とは違うものだ。

 区別して頭に思い浮かべるだろう。


 「湯呑み」と言っているのだから「茶碗」ではないわけだ。

 縦に長かったり横に広がっていたり、来客などでも何気なく出される、緑茶を飲むための茶碗のことだ。



 湯呑み茶碗はたいてい茶托がついていて、そこに茶碗が載せられて出される。

 若い頃は茶托なんて上品な演出だけだと思っていたら、使う意味のあるものだ。




 その湯呑み茶碗に蓋がついていることがある。

 噺家とか講演会なにかで、この蓋のついた湯呑み茶碗が演台に置いてあったりする。


 この湯飲み茶碗の蓋というのは緑茶を楽しむのに意外と重宝する。




 若いうちは、茶はそれこそ茶道のような範疇だ。

 きりっとさせ、挑むように茶を飲む。

 若い頃にはそうしてすぐに飲んでしまったものだが、歳をとるとゆっくりと茶をすすりたくなる。

 冷めてゆくまにまにゆっくりと飲んでゆくということをしてみたくなる。



 こういう時、パソコンの横に湯呑みを置けば湯気がなにかよくない感じだし、蓋がなければなにしろ冷めやすい。


 それで蓋が割と役に立つことを知る。



 盆代わりにどこかへ茶托で運んでいって移動する。そこで時間を使って茶をすするためだ。

 素手で持てば最初は熱い。


 蓋があればホコリを被ることもない。

 そして蓋をいちいちとって飲むと、湯気が滴となってこぼれる。これを茶托が受け止める。

 茶托には意味がある。




 すぐに一杯飲んで一服、仕舞えてしまうなら必要ないが、ゆっくり穏やかにお茶を飲むには蓋付きの湯呑みは必要だ。


 最初は熱くても最後にはぬるくなってゆく、その頃合いまでに飲み切る感じだ。

 ほどよく冷めてゆき、すっかり冷たくなってしまわない直前まで。

 茶を飲むという時間を使うのだ。



 冷めなければよいだろうと、ちょっと流行ったサーモスなんかで茶を飲んでも少しも面白くない。

 失敗する。

 いつまでもヤケドするほどの熱さの茶と、冷まそうと格闘しながら飲むことになる。

 躾けの悪いモノを相手にしている気がして、どうにか適温にならないかと考えさせられる。



 ほどほどがよい。