銭のこと

2020年7月3日金曜日

古式生活 江戸時代

お金のことを落語なんかでは「銭(ゼニ)」と言っている。

 江戸の昔の生活では、庶民は今から見れば「古銭」を日常使っていた。
 それは言ってみればコイン。
 懐にしまってそれを使う。
 日々の銭、毎日の暮らしはコインで足りた。
 なけなしのカネでみなが暮らしていた。

 細かい金なので、ヒモを穴あき銭に通してまとめたりした。

 「一貫文」などと言うが、それは一文銭を千枚まとめて、穴に通してまとめただけのことだ。


 我々日本人は今でも穴の開いたコインを使っている。50円がそれだ。

 海外に行くと、他の国ではこういう穴の開いたコインは珍しいと思われる。
 海外旅行をして日本のコインを持っていたりすると関心を持たれる。その漢字やデザインもそうだが、何よりコインに穴が開いていることが不思議に思われる。




 銭(ゼニ)というものは、小判とは違っていた。

 庶民が使うもので、同じ小判型にしても、穴が開いた百文銭というものもある。
 ゴールドの小判には穴は開いていない。


 小判というのは金(ゴールド)が含有され、いわば黄金で出来ていた。
 幕府が小判を独占して鋳造しており、この小判が流通する階層と銭が流通する階層とは分けられていた。

 公けの建前では、この銭が集まると小判になるということになっていた。

 だが、これは度量衡の延長、あくまでその考え方ということで、単に「勘定ができる」としていただけに過ぎない。
 銭と小判の交換の割合は、実は変動していた。
 つまり「相場」だった。
 銭を小判に替えようとすればその時々で相場があった。もちろん手数料もかかった。


 10グラムのものが100倍になれば1000グラム、それは1キロ。1000キロは1トンということになる。
 それが度量衡。つまり単位だ。
 単位というものは動かない。

 しかし、当時のカネは違った。


 庶民の通貨の銭の流通というものは銅や錫の混じった鋳造貨幣だった。
 これは幕府の独占ではなく、それぞれの藩で鋳造できるという自治権があった。
 そういう自治権があったから、各藩をまたいだ移動はそれほど自由ではなかったということも分かる。

 「参勤交代、入り鉄砲に出女」我々が教科書で習ったことだ。



 遠く離れた藩では同じ銭であっても通用しないということがあった。

 自分の藩を離れたりすれば、持っていた銭も使えないということにもなる。


 銭、これが集まると、度量衡での単純な単位の繰上げだとすれば小判になることになる。

 しかし、ただ集めて貯金をしただけでは簡単に小判にはならなかった。
 ただ繰上げられるものではなかった。

 現代で言えば、いくら百円玉を集めても、聖徳太子、今の福沢諭吉になることはなかったということだ。


 身分制度のこともあり、そういうシステムが江戸時代はだいたいこれが維持されてゆく。



 だからもし、藩をまたいで銭を使おうとしたり、小判が通用する世界と取引をしようというなら、今の銀行に値する「両替屋」を経由する必要があった。

 だから江戸時代の「両替屋」のことを「銀行」と説明する言い方をしたら、それはあまりに教科書的だ。


 両替屋は何も現代の銀行というわけではない。
 現代では銀行というのは高利貸しでもあるのだから、それを別の者がやっている場合もあった。


 「両替商」というのは、一種の橋渡し、幕府側の予算計画と市井の暮らしとを結びつけるようなものだった。
 今、この現代で外貨を交換してくれる両替商も、それまた、海外での暮らしと我が国での生活とを橋渡しをしてくれるものだ。


 幕府の予算は小判で立てられ、藩同士のやり取りも小判、幕府がどこかで政策投資をすればそれはその藩に小判として支払われる。
 そして各藩の下で人足を雇えば、その支払いは銭で行われた。



 つまり、両替屋というのは、庶民の貯めた金と幕府や藩が使う予算を両替する役割を果たしたのだった。
 それが江戸時代の両替屋の役割だ。


 幕府や藩が使うカネの単位は両だった。それは金(ゴールド)から作られた小判。
 これに対して市井の人々のカネの単位は銭だった。
 鋳造貨幣だ。

 役人の予算と、こちら庶民で流通している金とのあいだで、受け渡しをするのに両替屋の介在が必要になった。



 今で言えばそれがFX業者とか外貨両替商ということになる。

 日本と言う国の中でまるで外貨のように両替が行われていた。

 この時、両替のレートや手数料はもちろん安いほうがいい。
 現代の我々が海外に出かける時でも、両替レートは気にしたほうがいいだろう。




 使える通貨が、身分によって分けられることで、いくら百姓が代々にわたって金を貯めていたとしても小判など持てなかった。

 持つ必要もなかった。


 例えば、百姓がカネを貯めて小判に自分の金を交換しようとすれば、その両替の手数料率は百姓という身分に対しては多いものだったろう。

 つまり交換レートが大きくなるということだ。

 「お前の身分では必要がないのに、なぜお前は小判を欲しがるのか」というわけだ。


 もともと、庶民はわざわざ小判にする必要はなかった。
 自分の生活のレベル、領分を逸脱する必要もなかったからだ。


 身分。
 それは生まれと育ちで、その生活の範囲は限られていたという意味でもある。

 その銭の範囲で毎日いくらかの生活をする。
 節制倹約してカネを貯め、何かを果たす、起業したりするということはあまり考えられなかったのだ。
 身分はそうは変えられないものだった。



 これが、徳川二百年の治世の中で、通貨の区分がだんだんなくなってゆく。

 それは身分が変えられるということにつながってゆく。
 それが明治維新、身分制度の崩壊へとつながってゆく一因にもなる。


 武士には幕末にかけてそうした身分制度の狭間で悩み、己の生き方を探した時代があった。
 それが幕末というものだったのだと思う。


 我々がジャラ銭などと言って、小銭をジャラジャラさせることをあまりよく思わないのは、そんな歴史があるからなのだと思う。




 海外旅行をするなら有利な交換をしよう。

 現代では移動も自由だし、身分制度もない。