太平の世が続き、武士と言うものはすっかり軽んじられるようになったとよく言われる。
藩や殿様など、所属するところを失った武士が浪人となり、様々な職に流れていった話もおちぶれた武士の印象を強くさせる。
しかし、考えてみれば武士というのは官僚であり、政治家だったのだ。
だから、家を失えばまたどこかに転籍することができた。
有能な官僚ならば拾われたし、他の場所で登用された。
そういうことができずに、もともと役に立たない者や、人付き合いのできなかった者、厭世的になった武士がその身分を捨てたりすることはあった。
浪人という、まだ武士のフリをするだけのような、無宿人になってしまった者にしても、ヤクザ者とは違う立場で暮らしていたいたのであって、睨みを利かせていた。
武士と言う階級は社会の秩序を構成していた。
テレビや映画ほどそれは多いケースではなかったはずだ。
いわゆる、士農工商などと皮肉交じりに教えられる歴史は、あくまでごく一面を語っているに過ぎない。
景気がとてもよく、町人文化が栄えた時代はあった。
しかし官僚は町のルールを作ったし、名簿を作るなど文字が書けた。
我々がよく聞く、浪人というイメージほど誤ったものはないと思う。
戦時にあっては刀を取り、平時にあっては筆を取った。
むしろ平時には、能力のあるサムライほどそうだったろう。
刀も、ネクタイのようなものになっていっただろう。
そういう逸話は歴史に数々聞くことが出来るが、我々が江戸文化を思うとき、町人文化というものを中心に考えることが多い。
そのせいで、当時の統治と秩序には深く官僚としての武士が関わっていたこと、彼らがいたための太平の世だったということをつい忘れてしまう。
うろたえ、騒ぎ、なんとかしてくれという者ばかりでは何もできないのだ。
コロナ感染拡大で思うことだ。
今、武士でない旅芸人風情が口を出しているが、昔ならきっと斬られたことだろう。
口先ばかりで無責任なことを言っている連中は、騒乱を起こす不満分子として処罰されたに違いがない。
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