一揆やパニック、侍はどうしたのか

2020年5月10日日曜日

武士道


 もちろん、斬った。切り捨てた。



 パニックになったりして騒ぐだけの大衆はたちまち切り殺された。

 武士と言う連中がいて、彼らは浪人となっても階級を捨てなければいとも簡単に斬り捨てることが出来た。


 それは自警団ですらない。

 法であり秩序であった。

 法を体現する者が武士だったからだ。



 不穏とみなされた者でさえ、社会秩序を乱すとして切り捨てられた。




 歴史に名高い徳川の200年の治世の間、その間には何度も飢饉があり、伝染病が蔓延している。


 それでも徳川の世が崩れることがなかったのは、結局、治世と言う義務意識が育っていたからだ。



 それは今のような民主主義の人気取りではなかった。

 パフォーマンスではなかった。



 ひたすら治世のことを考えた末端の武士たちに支えられた草の根の民主主義であったといってよいかも知れない。





 逆に、いくら騒乱を起こせば即刻に切り捨てられる治世だったとしても、本当に情報に誘導されただけの愚かな大衆というのは早々に殺されることはなかった。



 そして大衆というのは、そうした正義を、武士というものを支持した。



 武士はすなわち一種の政治家であった。

 だから、徳川の200年、武士は生き延び続けたのだ。

 そこには法律があり、治世への意思があった。




 外国艦船の侵入と交渉ということになって、やっとそれが初めて崩れた事実はまさに象徴的だ。



 どんなに威信や威厳、その存立意義が揺らごうとも、決して自らは倒れることはなかったのだ。



 だから、今回の新型コロナでさえ海外からきたものと考えるべきではない。

 疫病と考えるべきなのだ。

 そうして我が国が対処し、これに協力する大衆こそが立ち向かうチカラを得ることが出来る。



 人を見ているヒマはない。

 自らを律し、自らが感染させないようにするだけのことだ。



 人の挙動に文句を言うヒマがあるなら、まず自らの挙動を。

 そうしておいて、不逞な輩が騒ぎを起こそうとする。

 ならば斬れ。

 今は既得権益マスコミがそうだろう。




 大衆行動を律するものがいた江戸の世に比べ、今はあまりにも責任がなさ過ぎ、無防備だ。

 徳川の世に後れているといっていい。



 浮ついた大衆を切るものがいるだけで、そうした不満は消えたものだ。



 ああ、「赤報隊事件」というのがあった。



 今の連中はそれをよく知っている。だから怖れるのだろう。

 たかだか記者ごときの襲撃事件で毎度、アレだけ毎年騒いでいるのだから。