根付け、音付けというもの

2020年4月4日土曜日

武士道


 「根付け」とか、「音付け」という。


 それは今で言えばキーホルダーとかストラップの類だ。

 昔とて、モノを失くせば困った。



 硯すら懐に入れて持ち歩いていた時代だ。

 今とそうは変わりはない。


 失くしてしまわないように工夫が生まれても不思議ではない。




 それが「根付け」。ちゃんと根っこをつけて失くさないようにしておくものという意味。

 あるいは「音付け」とも言う。

 失くしそうになったらすぐにわかるように音がするもの。鈴などをつけた。


 どちらも同じ含意だ。

 音付け。鈴なんかがついてあって、どこに失くしたかわかるという代物。


 どちらも同じ使い道だから、間違ってはいない。



 これをまた江戸の頃の職人が工夫して色んなものを作った。


 インドのムンバイというところには国立美術館があって、そこには日本の古い造作がされた工芸品が展示されている。

 昔に日本から流れてきた工芸品。


 日本国内でもあまり見かけないぐらいのものだ。


それはそれは見事なものばかりで、小さいものに象牙とかサンゴを使って、丁寧にくり貫いたりして動物や鳥などをかわいらしく作ってある。

 日本のフィギュアの伝統というのは昔からあった。




 ああいうものを見て、インド人を含め、欧米の人々は「日本人はなんと細かい民族なんだろう」なんて思うのだろうが、我々は実は「細かい」というわけではない。


 スキを見せるのを恥としている武士の文化があるから、細かいところにも気を使うというだけ。


 それがどうせならちょっとしたもの、可愛らしいならもっといい。



 江戸の時代、天下泰平になっても武士は自分の立場を維持するために武士としての生き方や態度を追求した。

 武士らしい態度や所作が追求され、精神論さえ生まれた。



 ただ、不思議なことにこの「かわいらしい」という価値観には文句はつけられることはなかった。



 せいぜい武士たちには、「町人文化など女々しいものよ」などと言われていたのかと思ったりするが、そういうことは残っていない。



 小さなことというのは油断がならない。

 精魂こめて造作することには敬意が払われるべき仕事がある。


 それが分かっていたのだと思う。