奢侈ということ

2020年4月17日金曜日

古式生活

 江戸のその時代には飢饉などがあって、

 格差というものが顕在化した。




 だから奢侈禁止令と言うのが出たことがあると思う。



奢侈禁止令と言っても、結局、歌舞伎や芝居などは一時的には禁じられただけで、結局はやられ続けていた。



 主に豊かな豪商の遊びや、ひけらかしなどを取り締まる方に使われる結果となったと聞く。


 そのとばっちりが、画家など芸術家に及んだというのは悲劇ではあったが。




 奢侈。


 今は緊急事態、節約節制に気をつけない世の中なのだからこれを守れ、


 これがその令のこころであった。


 だが、結局はそれは格差ということから、それが社会問題化することを案じて律したのだと言える。


 景気のいい豪商たちが、飢饉やその後遺症で苦しんでいる庶民を尻目に、贅沢三昧していることを「不要不急の奢侈」として禁じたということになる。


 そうでなけば不満に思う庶民たちがとたんに暴れだしただろう。


 こういう歴史は、今にも通じるものがある気がしないでもない。


 格差ある社会で、脆弱な年金制度にどっぷりとつかった老人たちが、人生の華よとばかりに豪華クルーズ船での遊興におぼれ、結果として中国からウィルスを持ち込んだ。


 江戸の時代、それよりも前からでも、我が国はそのような老醜と言うものはなかった。


 老人が権勢を振るうのであれば、そこには節度が求められた。




 今はそのような節度はない。

 まるで子供のような老人ばかり。


 勝手気まま、引退したからと、世間にはばかることな自由を謳歌する。

 そんなことは日本では到底許されなかった。


 老醜の権力を濫用すればとたんに桜田門外だ。



 しかし今はそういうことが許され、権利ばかりが濫用されている。



 そうして、権利ばかりを振りかざしたはずが、新型コロナウィルスの脅威はその老人たちに最も向けられている。



 皮肉としかいいようがない。