古式生活 武士道

流れ、成り行き

 日本人は「流れのまま逆らわない」ということを重視したり、「自然の流れに従う」ということをよく考える。  「成り行き任せ」というと無責任という意味になってしまうが、大勢を見るというのは重要だ。  大将、その長でもそうしたことを考えたりもする。  大将や殿様を勤めるのでなく...

古式生活 江戸時代 武士道

盆栽 BONSAI

 海外からの訪問が多かったため、できるだけ翻訳しやすいように分かりやすく記述してみる。  「翻訳ボタン」を活用していただきたい。  今回は盆栽についての解説だ。  「盆栽」というのは、海外でもよく知られるものとなった。  「BONSAI」と、そのまま日本語の発...

古式生活

日本は火の国である

 日本人は古来から、火、炎というものが好きだ。  日本は火の国。火山国、地震国でもある。  疫病が流行ると護摩を焚いたりして邪気を追い払うということをした。  煙を焚いて邪気を払うというのが主にアジアの文化に見られるが、日本はむしろ炎というものの方が多いように思う。 ...

古式生活 江戸時代

結界

 かつては結界というものがあちこちに見られた。  神社の祭礼、儀式にあってはしめ縄が地域に張られ、その範囲が神によって守られている領域であることが示された。  それらは魔や鬼と我ら人間とを分け隔てする境界だった。  神社という聖なるものの縄張りを決め、そこを...

古式生活 江戸時代

終戦記念日などありようもない

 戦国の世の昔、我が国の各地では多くの戦いがあった。  しかしそれを「記念日」などと、ふざけたものと扱った時代は一度とてない。  天下を分けた関が原の合戦、その終戦記念日だと誰が祝っただろうか。  弔いはあろうとも、その関が原があったから太平の徳川の世...

江戸時代

夜の街

 江戸時代の夜の街と言ったらやはり吉原などの遊郭だろう。  関西で言えば飛田遊郭に当たる。今の飛田新地だ。  遊郭はどこにでもあった。  それこそ明治、大戦。昭和となってもまだ名残りを残す遊郭跡は各地にあった。  江戸時代には今のキャバクラ的なところがあった。 ...

古式生活 江戸時代

友、友人というもの

 我々日本人というものは古来からことごとく独りであった。  日本人は孤独を愛する民族だ。  孤独であり、孤高であり、肉親に対しても誰に対しても人間は生まれたときから一人の個、独立した者であった。  幼い頃、早くから織田信長は親元を離れた。信長は人質となっていた家康と幼少に...

古式生活 江戸時代 所作

人の足元を見る

 「人の足元を見る」という言葉がある。  それは「人の弱みにつけこむ」あるいは「人を値踏みする」というのが真意だ。  江戸の人々はほとんど徒歩で移動した。  参勤交代や色んな制限があったことが功を奏し、江戸時代は逆に人々の移動が盛んだった。  それがよく経済を回...

古式生活 江戸時代 武士道

享楽的なことは悪である

 今は外国人との接点も多くなり、我が国にとって客人に過ぎなかった者が色々と口を出すようになった。  これさいわいと、これを利用して自らの堕落を糊塗しようとするのもいるし、日本文化を破壊しようと画策する者もいる。  なんということはない戦国時代が国境をまたいでいると考えれ...

器の揃え

 器というのは食事をするのに大事なものだ。  現代はそれこそ、幅広く器を選ぶことができる。  器の世界には「民芸運動」というのがある。  結局、取り揃えるのが大事なので何もかもが漆や陶器、瀬戸物にしてもいけないのだ。  確かに江戸の時代はそんなことはで...