日本は火の国である

2020年8月25日火曜日

古式生活

 日本人は古来から、火、炎というものが好きだ。
 日本は火の国。火山国、地震国でもある。

 疫病が流行ると護摩を焚いたりして邪気を追い払うということをした。

 煙を焚いて邪気を払うというのが主にアジアの文化に見られるが、日本はむしろ炎というものの方が多いように思う。


 江戸の時代、何度も今回のコロナウィルスのような疫病が蔓延した。
 「流行り病」などと言われ、飢饉の災厄に告ぐ忌まわしい出来事であった。

 今回のウィルスのように、激しく流行した時も、人々はその遺体を土に埋めるよりも火で遺体を燃やしたという。




 火山のあるハワイで、そこの岩石の話を聞いたことがある。

 いわく、その火山の石は決して持ち帰ってはいけない、という。


 火山は地球の奥底からやってくるもので、そこに転がっている石は神たる火山の所有物だ。

 だからそれをイタズラに持ち帰ってはいけない。

 持ち帰れば災いの元だと言われた。

 神の山から出た石をむやみに持ち帰ってはいけない、と。

 正直、我々日本人にはピンとこない話ではある。




 我々日本人は普通に溶岩の石など持ち帰って、庭に火山を模したようなことをしている。溶岩流岩石のゴツゴツした質感を楽しんだり、盆栽にも使う。

 庭石として溶岩岩石を置く家もある。
 ただし「飾る」のではない。
 「置く」のだ。

 かつてはお江戸、浅草あたりでも富士山を模した人工の山が作られた。

 わざわざ富士山から石を運びこんで小さなミニチュア富士を作り、そこを登らせてご利益のある富士登山をシミュレートさせる趣向があった。

 あちこちでたいそう人気になったと聞く。

 富士登山を擬似的にできるというので、各地で流行したのだった。
 日本人にとって富士は象徴的な山だ。

 蝦夷富士、薩摩富士、富士は各地にある。
 その最高峰が富士山だ。
 
 家康はその富士を見る静岡から日光へと陰陽のラインを引いて最後の墓とした。東照宮は家康の移築された権現様である。


 火を噴く山から、どれだけその生活の場が近いか、近くないかという自然条件による違い、それによる文化的な違いはあるかも知れない。

 火山に寄り添うように生きてきた我々日本人と、その災厄を用心しながら避けるようにして暮らしてきたハワイの人々とはその畏敬する感覚は違うかもしれない。

 我々日本人は炎を友とする文化である。

 だから益荒男の心に、その炎が燃えているかどうかが問われ、常にそれは試される。


 近年、よく戦場でPTSDになると言われるが、本来、我々日本人にはそれはありえないのだ。
 いくら腑抜けな言説が流布されているとは言え、まだ我々は日本人のそんな覚悟、心を完全に忘れ去ったわけではないはずだ。

 各地で行われる火渡りや火に関連する儀式は、近年、むしろ欧米人にとって注目される神聖な儀式となっている。


 火よ、我と共に歩け。