武士は質素倹約に努めるべし、そう言われた。
だがそれが一汁一菜についてのことだったかは分からない。
商人らが華美な文化を作ってゆく太平の世の中で、質素倹約とは奢侈に溺れない堕落を戒めたものだったが、食事についてはたいてい一汁一切を旨としていた。
米を食い、味噌汁とオカズ(魚)。
菜とはオカズのこと。
漬物はあったろうがそれは僅かの副菜。
魚などなくても卵でもあればいい。卵は完全食。
米は玄米を食べた。
だからビタミンは採れた。
「米を精米する」という流行が都市で起き広がってから、カッケや数々の病がはやった。
それを「江戸病」と言い揶揄された。次第にそれすら言われないほど流行し米は精米するのが常識となった。
米は何も精米する必要はない。
平安の時代から食べられていたのは玄米だった。
それでも、新たに起こった精米文化を戒めたという記録はないから、やはり質素倹約に食生活は入っていなかったと思われる。
そうなれば海外や工芸品などの芸術、服飾、そういった「人に見せるもの」が華美ではあってはならぬとの戒めであったと言える。
華美や奢侈に「流される」と言った。
人に己の贅沢を見せ付けるようなことが愚かだとされたのだ。
それは武士という権力が指導力を維持するため、必要な節度だったと言える。
今の政治家もそうした節度を保っていなければ、大衆の信頼は得られない。
厳に戒めるべきであろう。
大衆は自らが豊かになるため、権限を委譲しているのであって、富の独占を許すことはない。
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