「帯」というものは、着物を着る時に締めて着物を体に固定するものだ。
いわば古来のベルトだ。
ここに古くて新しい話として、帯は「腰で着るか腹で着るか」という問題がある。
男性で、着物を着慣れている人によれば「帯は腹でするもの」などと言うことだろう。
一方で女性は「腰帯」などと言い、帯は腰でするものということになっている。
果たして何が正しいのか。
どちらが最も適当な感覚なのだろうか。
これは意外と議論されることがないことのひとつだろう。
帯が「ベルト」であるとすれば、それは「腰でする」ということには間違いはないだろう。
しかし帯を「着物の合わせ目を締めるもの」と考えるとどうか。開かないようにするものと考えるとどうか。
ベルトはズボンを固定するものだが着物の帯は腰より少し上ではないか。
つまり「腹」なのだ。
例えば、言葉の表現であればどちらの見方も存在する。
「腰を据えて取り組む」というのと、「腹の据わった奴」という言い方がある。
そんな比較をしてみることはできる。
腰も腹も、どちらも日本人には古来から重要なカラダの部位ではあった。
これにこだわるというのは偏執的な理由ではないだろう。
異論を承知であえて述べれば、帯を腰でするのは女性で、腹でするのは男性ではないかと当サイトでは考える。
女性はその所作の中に美しさが見出せるし、男性は肝の座った覚悟が求められるではないか、と。
また、腰は動きの一瞬の中で意識するもので、「腹」というのは、じわりと静かなところからチカラが入るところ、そんな風にも思えるからだ。
瞬発力のためには腰のサポートが重要であり、持続力、パワーと言うものであれば腹が重要となるというわけだ。
そんなことが言えるのではないかと思う。
結局は丹田というヘソ下のことなのかも知れない。
コブシひとつ下のあたり、丹田のツボを意識せよ、そんなことにはなるのだろうか。
そのためには、腹から丹田を見渡すのか、あるいは腰から丹田を意識するのか、むしろ方法論の問題なのかも知れない。
しかしこれは、「果たして人間の中心はどこか」という精神的な問題につながるものだと思う。
中心を意識することでそこから様々な動きへと広がってゆく。
物事は中心から回るものであり動くものだ。全てのことには中心がある。
意識されるところに帯が締めてあれば集中はしやすい。
当たり前のことかも知れないが、我々は帯が緩んでいれば「だらしない」と感じるものだし、緊張を緩める際にもベルトや帯をゆるめるものだ。
古来から日本人はその所作の中に人の精神状態を見出すということを習慣としてきた。
ならばその所作を見極める「中心」をどことするのか。
例えばこれがアメリカだと、「肩」という部位だったりする。
アメリカには「チップ・オン・ザ・ショルダー」という言葉があって、言ってみれば「喧嘩上等」というようなw、いわば挑発というか勇気を見せるというか、そんな風習があった。
実際に木片を肩に乗せて歩き、「やれるものなら落としてみろ」などとしたそうだ。
挑発と威圧、西部開拓の無法の中で育っていった男たちを思わせる風習ではある。
そこへゆくと、日本人の場合は、「腰」とか「腹」というのはあくまで喩えの話でしかない。
実際に腰が据わる感覚があるわけでもないし、腹にお灸をすえたわけでもない。
例え「腹にすえかねる」などという言葉があったとしてもw。
怒り心頭ならやはり腹ではなく頭に、あるいは胸にくるものだろう。
腹はむしろストレスでキリキリと痛むというぐらい違うものだ。
こうして、精神的なことが古来から体の部位に結びついて考えられてきたというのは興味深いものがある。
そして服装や身の回りにその認識が及び、我々の服飾文化を形作ってきた。
我々が、もし早いうちから人間と言うのは「脳」で考えるもので、脳が死ねば人間は生きてはおれないと、そう強く認識されていればどうだったろうか。
服装といった文化はもっと違ったものになったかもしれない。
我々の服装にも、その美にも、我々の精神を探ろうとする意識が影響していると言える。
すなわち、人の「心」がどこにあるかと言えば人によって答えは違うことだろう。
胸だったり頭の中、脳だったり、全身の神経、五臓六腑だったりするはずだ。
もっと強く、「人の魂はどこか」と問えばどうか。
それは脇差でもあったろうし帯でもあったかも知れない。
我々は古来から心、すなわち「精神」というものを重んじてきた。
もし当時の人間たちと今、対峙したとしたら、現代の我々は彼らにオノレの強い精神を彼らに見せることができるだろうか。
我々は彼らよりは知識はついているかも知れないが、我々が人間としてともに探してきた「心」とは、いったい今、古来の彼らよりもはっきりしているのだろうか。
帯をほとんどしなくなった我々を見て、彼らはどう感じるのだろうか。
相撲取りが取り組み前に何度も腹のマワシを叩く。
彼らはマワシを強く叩く。
その時、腹が緩んでいては叩きようもない。
あれは彼らが何度も行う稽古の中で、ごく自然に身についた所作だろう。
はっけよい(笑)
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